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京都町内会バンド結成物語

97年春頃、東京から京都に帰ってきてぼーっとしている笹野みちるを、笹野の学生時代からの友人であり、音楽的ライバルでもあった原田博行が自分のライブに「ゲストとして出てみないか」と誘う。

原田は、笹野が京都と東京を、「東京少年」だの「カミングアウト」だのと行ったり来たりドタバタしているあいだにも、地元京都にて地道なライブ活動を続け、着実に自分のスタイルを築き上げてきていた。 (苦節ン十年) 促されるままになんとなく出演を承諾した笹野は、鬱、無気力のさなかではあったが、原田と共にライブ用の新曲を2曲も書いた。(それが、のちに京町バのファーストアルバム『HIMAGINE』にも収録される『僕に捧げる歌』と『Sin』であった)
そのときのライブに、学生時代、笹野とおなじ軽音サークルに所属していた村田聡もいた。

村田も数々の音楽武者修行を経て、あらゆるジャンルに対応できる器用なキーボーディストへと成長していた。やがて、その3人を核としたアコースティックユニットでライブに出てみないかという誘いが音楽業界関係者からあり、急遽バンド名を自嘲気味に「京都町内会バンド」とする。
(ヤル気な〜いネーミング)

その後、多少サポートメンバーの変遷があったのち、97年夏、原田のソロライブにゲスト出演した有田さとこの才能を一目で見抜いた笹野は、俄然有田奪取へと意欲をみせる。
村田の太鼓判も得て、原田と笹野によって河原町今出川セカンドハウスに拉致され詰め寄られた有田は、その頃まだ大学4年で卒業が危ぶまれていたにも関わらず、バンドメンバーとなることを快諾。(その後、無事98年に卒業)

こうして97年の秋からメンバーが4人に確定し、RD RECORDSからCDを出せることが決定し、ライブの本数も増えていった。

98年3月、1stアルバム『HIMAGINE』。98年10月、ライブ盤2ndアルバム『日常生活』。
99年6月、3rdアルバム『かけぶとん』を発表。01年にはRD RECORDSから撤退し、完全自主レーベル「OBU RECORDS」を立ち上げ、プロデューサーにGLAYのサポートドラマーTOSHI NAGAI氏を迎えて、シングルコレクション風4thアルバム『スイスイ』を発表。
バンドの自立と成長に平行するかのように、笹野のウツ症状も快復に向かう。

一方ではこの頃、村田の潰瘍性大腸炎発病など、バンドとして数々の苦難の時期を迎えるが、見事に雨降って地固まる。より一層のまとまりを獲得し、'01年終わり頃からツアー形式で東京、京都、名古屋、神戸など集中的に密度の濃いライブを行うようになる。
京都では主にライブハウス「拾得」を 中心に、東京では、吉祥寺「Star Pine's Cafe」で毎回2daysライブを満杯にするようになる。

'02年7月、ホッピー神山プロデュースのミニアルバム「たこみたい ねこみたい」発売。
'01年秋〜'03年の2年間メンバー5人時代(Key井上正行)を経て、'03秋より再びメンバーは元の4人へ。
'04春〜夏にはライブビデオ「ひっくりかえそう!」、アルバム「4SPACE」を発売。

'97年結成当時の合い言葉「ええやんか京都系」から'02年「確信犯的ほっこり集団」、 そして'04年からは「笑って許せるオトナ達」(笑)として、笑って泣いて心にしみる、唯一無比のKCBワールドをさらに熟成、全国展開。

2007年、京都町内会バンドは結成10周年を迎えた。
そして、2012年夏、京都町内会バンドは結成15周年を迎える。

原田博行  プロフィール

原田博行
原田博行   2.22生まれ   魚座 O型

京都のキリスト教の牧師の子として生まれる。中学時代に友人からギターを買い取り、歌謡曲で弾き語りを始める。 '87年、同志社大学神学部入学。牧師である父の心配をよそに、音楽活動に没頭。そのころアマチュア時代の「東京少年」と数多くの対バンをこなす。
人間関係には絶大な自信と確固たるポリシーを持ち、京都市内を歩いていると2分に1回知り合いと遭遇しては、手を挙げ笑顔でオウといい、移動に人の数倍時間がかかったという逸話はあまりにも有名。“人脈クン”の異名を持つ。

'95年「Rouault(ルオー)」というバンドで、自主制作CD「小曲集」を発表。その後、ソロとなり関西を中心に活動する様々なキャラのアーティストと主に、ライブハウス「陰陽(ネガポジ)」で共演。現在も京都・東京などで精力的にソロライブを行う。

'97年よりソロ活動と並行して、笹野と共に「京都町内会バンド」結成。心に染みる「ええ声」フォークと、笹野との掛け合い漫才風爆笑MCはもはや名人芸。最近しゃべりすぎて「爽やかいい人キャラ」は崩壊の兆しあり。バンド内に「フェロモン系ええ男」への変身プロジェクトが組織される。 '98年からは新ユニット・「日向」(ひなた)も結成。ますます活発な音楽活動を展開している。

'00年5月に1stソロアルバム「空へかえそう」、'01年10月2ndアルバム「みんな月を見るのかな」、'03年6月3rd「KEY」(ライブ盤)リリース。
京都市内の共同トイレ&風呂が使えるようになった家賃2万の下宿に住み、古き良き「京都系」ライフを楽しむ。'05年12月、たくさんの人たちに支えながら、結婚。住み慣れた下宿を跡に、新しい生活が始まる。一応、某私立有名高校の非常勤講師(キリスト教学)だったりする。

笹野みちる プロフィール

笹野みちる
  •     笹野みちる
  •     10.30生まれ
  •     蠍座 A型

「東京少年」のボーカルとして'88年、ビクターからデビュー。
シングル7枚、アルバム7枚(ベスト盤含む)を発表。

91年解散後、京都に戻り、同志社大学経済学部に復学、卒業。

93年、アルバム「ささのみちる」、シングル「彼女といたい!」でビクターからソロデビュー。

'95年、幻冬舎より著書「Coming OUT!」を出版、渋谷パルコブックセンターのベストセラー1位になる。 次いでアルバム「Girl Meets  Girl」を発表。
女性アーティストしては、日本で初めてカミングアウトしたことで話題を呼んだ。反響は大きく、ニュース番組、スポーツ新聞や雑誌等、あらゆるメディアから取材を受ける。
しかし'97年、心身に不調をきたし東京を離れることを決意。京都に戻る。
97年、原田の誘いをきっかけに「結局、自分にとっていちばんクリエイティブな気持ちを刺激される場所」という京都で「京都町内会バンド」を結成。現在に至る。

'98年には鬱期の煩悶エッセイと京都の町歩きガイドの二本立てで構成された「泥沼ウォーカー」(パルコ出版)を発表し、バンド活動と並行してエッセイストとしての活動も行う。'98年〜'00年まで京都の女性向けタウン誌「LEAF」で京都ルポも連載。たまにCMのナレーションもしている。
'97年以降長かった鬱症状も'00年から氷解。
波瀾万丈の青春期を自戒を込めて振り返り、30代からは“生まれてきては消えていく、それだけのことほっときましょう”(「たこみたい ねこみたい」)を座右の銘に。普段は意外にも玄米・野菜・山歩きに親しむ地味キャラであるが、LIVEでは上沼恵美子ばりのイケズなおばキャラが炸裂、原田にギリギリで止められるのが芸風に。
'03年1月、東京・吉祥寺マンダラ2で半年間に渡り、伝説的修行GIG“みちる庵”を開催。そのときの新曲を元に '04年3月、8年ぶりとなるソロアルバム「ナカナオリ」をホッピー神山プロデュースでOBU RECORDSよりリリース。ソロ活動もぼちぼち展開。

村田 聡  プロフィール

村田 聡

村田 聡
5.11生まれ   牡牛座 B型


京都の中京区御所近辺の由緒正しい環境で育つ。幼少の頃からピアノレッスンを受けるが、あきたらずバイエル終了後は独学で弾き続ける。
中学時代より洋楽も聴きはじめ、高校時代にはロックに開眼。ブリティッシュハード、プログレ等にはまる。
同志社大学商学部入学後、一時期音楽サークルに入り笹野と出会ったりもするが、あまりの理想と現実のギャップにすぐDrop Out。
個人的に音楽理論等のレッスンを受け、ジャズに接近。卒業後は酒場の酔いどれピアニストとなり、アルコール漬けの生活を送る。
'97年春に原田のバンドにプレイヤー&アレンジャーとして参加。その流れから「京都町内会バンド」のメンバーとなる。 Liveでは華麗なピアノプレイで陶酔させたかと思うと、一転してマッチョな怒号コーラスで場を凍てつかせる。あるときはPinkのピアニカを不思議な腰の運動とともに吹きまくり、またあるときは開演時刻を30分過ぎてライブハウスに現れ、客とメンバーを緊張に陥れる危険人物。(開演時刻を30分間違えてたらしい…)

意外な才能としては、レンズを前にしたときのフォトジェニックな表情と動きはモデルも見まごうレベル。'01年春、難病の潰瘍性大腸炎を患いバンド脱退の危機に直面するが、不死鳥のように蘇り、慢性疾患と付き合いながら「名誉メンバー」として京町バに関わることとなる。
そのあたりから、あだ名が「村爺(むらじぃ)」に。何をしても許されるおじぃのようにメンバーから労られている(笑)。
'03年よりPOPSユニット「LOVE SHARING」を結成。'04年からは一人プログレユニット「RENGA」も始動。多岐に渡る活発な音楽活動を展開中。

有田さとこ  プロフィール

有田さとこ

    有田さとこ
    1.29生まれ    水瓶座 A型


芦屋の下町で風呂屋の子として生まれる。
演歌好きの両親の下、4歳からバイオリンを習う。
ほとんどクラシックしか知らなかったが 同志社大学経済学部に入ってファンク、ソウルに出会い、ベースを始める。
その後、めくるめく黒人世界にハマりカッコよさに目がくらくらしているうちに、いつのまにか大学も卒業。数々のバイトをこなす“プー太郎達人時代”を経て、原田のソロライブにゲスト出演し、原田と二人での活動を機に97年9月「京都町内会バンド」へ参加。
最年少ということもあってバンド内ではマスコット的存在としてかわいがられ(いじめられ?)ている。 ライブでは独特の天然ボケっぷりと、突っ込まれれば突っ込まれるほど予想外な宇宙人的リアクションを起こすステージセンスに中毒者続出。そのせい(?)で、全国にマニアな男性ファンが急増中。そうかと思えば、堅実かつ骨太グルーヴィーなベースプレイで名うての音楽人を軒並み唸らせる実力者でもある。

現在はマルチプレイヤーとしてのKCBでの活動の他、加藤隆生氏率いる「ロボピッチャー」での活動や、TAKUYA(ex. JUDY AND MARY)、柳原陽一郎(ex.たま)など、メジャー・インディー問わず様々なアーティストのサポートベーシストとしても絶大な信頼を受け、レコーディングやライブツアーで活躍中。

京都町内会バンド結成物語 原田博行プロフィール 笹野みちるプロフィール 村田 聡プロフィール 有田さとこプロフィール 原田博行 「歌って、語って、ハラダイス」